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皆様めりーくりすます。

私はロンリーに過ごしますよ。でも寂しくなんかないさ!

目の前に会社でもらってきた賞味期限切れの白和えミックスが転がってるし。





というかお久しぶりです。

ここ数ヶ月、忙しかったり私生活で色々あったりでほとんどPCに触らずじまいでした。
私生活に至っては、何のために何を楽しみに何を糧に生きているのかなんて壮大なことを考えてしまったりして、何だかとてつもなく虚しくなり、ただただ座ってぼーっとしている日々が続きました。

バイオリズムっていうんでしょうか。
基礎的な精神力の波が大幅に下がるときがあるんです。
前回こういう状態になったのは5年前。高1年のときですかね。
「何をしても楽しくない、何かをする意味を見出せない、する気力がもてない」
友達といても家族といても、やたらと孤独感を感じて虚しくなるんです。
死にたいとは思わない。
でも生きている意味を探してしまうがために生きるのが辛くなる…。

こんなときにたまたま高校の友達にシルクを勧められたんです。
PC自体ほとんどまともに使ったことのない頃だったので真新しい感覚に夢中になりました。
ネット内ですが新しい出会いもありました。
そこで人と触れ合うことによって少しずつ虚しさが薄くなり、実際の生活でも開き直りに近い感情であるがままに「これでいい」と受け入れられるようになってきました。
楽しいことは楽しい。生きているのに意味なんてない、生かされているうちは生きよう。
こんな簡単なことに今まで悩んでいたのか、と思えるくらい吹っ切れました。

回復して5年後、また同じことになるとは思ってもいませんでしたが。
数年ちょこちょことは沈むこともありましたが、ここまでまた落ちるとは。
前回と違うのは、人といるときは孤独感は感じないという点。
まぁ就職して1人暮らししているからだろうけども、家に帰るといきなり落ちる。堕ちる?
ゆっくり何かする時間もないし余計に楽しみがなくなって虚しくなって全てが嫌になる。
家に帰ればいつまた元彼が来るのかも知れない恐怖。
関係ない足音が怖い。外から聞こえる会話の声が怖い。何でもない音、気配が怖い。
自分で出す生活音で中にいるのがばれやしないか怖い。
ドアの横にある台所に立つのが怖い。
しばらく電気もつけられない生活が続いたこともあった。

毎日毎日この繰り返し。

単なるないものねだりだろうか。
思い通りにならないから何かのせいにしているだけなんだろうか。


いずれにしても私は弱い。
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皆様、お久しぶりです。
社会人となり、実家を離れ少しずつ自分の力で生活していけるようになってきました。

実家を離れたため、ネット環境が整っておらず唐突になりましたがしばらくネット界から離れていました。
挨拶もなしに消えてごめんなさい。


先日よりネット環境を整え始め、一応復帰を果たしましたのでここで挨拶をさせていただきます。
(しばらくキーボード触っていなかったため、誤字脱字がひどいかも知れませんが許してください;;)



*近況報告*

4月より新社会人として弁当のバイク便をやっておりまして…腕だけ日焼けしてます。
5月下旬より実家を離れて頑張ってます。
休みが少なくて忙しいながらも、人間関係に恵まれて楽しくやっています。



*残念なお知らせ*

先日の突然の豪雨のときちょうど配達中でして…携帯が殺られちゃいました★

電源はいらなーい(o^∇^o)

データさようなら~(*´∀`*)ゞ


というわけで、もし私のアドレス知ってる人いたらメールくださいorz

0からのスタートです。
今朝、金縛りにあいました。

今までにも何回か経験した事はありましたが、ここまでハッキリかつ数回にわたって起こったのは初めてかもしれましぇん。



まず、左耳付近に違和感を感じ(耳鳴りも基本的に左耳なのです)、足元から『ガサッガサッ』という布団をなでるような何かが動く音が聞こえてくる。
その後全身が痺れたように動かなくなり、声も出せなくなりました。

でも目は開いてるんです。
しっかりと窓から差し込む日差し、自分の足元など見ていましたから。



そして…ガサガサ音をたてていた何かが足元からこっちへ向かって這って(?)向かってくるんです。(割と早いペースw)




小動物のような軽めの重みが登ってくるのを感じる。




伝わる重さから、大きさ的には上履き程度と予測。



普通じゃできない細かな前後運動をしながらの移動。






想像のつかない何かが目の前に現れるであろう、という恐怖。








そして、ついに私の顔の前へ…!











………!!!?







確かに布団は重みで下がり、私の顔をのぞいているであろうと思われる場所にいるにも関わらず、姿は見えない。




脳裏では、姿の見えない何かに見られている恐怖と見えなくてよかったという安堵が複雑に絡み合いながらも、やはり体は恐怖を感じていたのか




「…く…(る)…っなぁ、YO!!」




と出ない声で必死に叫ぼうとしていました。





そして次の瞬間、私の体を縛り付けていた何かから解放されました。






その後も3,4度ほどこんな金縛り状態が立て続けに起こり、さすがに恐怖と苛々がつのったため(いい加減起きればいいのに)、大好きなCDをかけ再び眠りにつきました。

CD効果があったのか、何事もなく就寝できました♪












***









<金縛りについての備考>

金縛りは主に就寝中意識がはっきりしていながら体を動かすことができない症状を指す。 体が締め付けられるような感覚からこう呼ばれる。医学的には睡眠麻痺と呼ばれる睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態不規則な生活、寝不足、過労、時差ボケやストレスなどから起こる。 脳がしっかり覚醒していないため、人が上に乗っているように感じる、自分の部屋に人が入っているのを見た、耳元で囁かれた、体を触られているといったよう幻覚を伴う場合がある。これは夢の一種であると考えられ幽霊や心霊現象と関連づけられる原因になっている。 ただし金縛りの起きる状態がほとんど就寝中であることから学者の説明は睡眠との関係についてである。覚醒状態においての「金縛り」というものについては科学的にはほぼ未解明であり、精神的なものに起因するとされることも多い。

<前兆>
金縛りは、いきなり起こるわけではなく、必ず前兆がある。およそ1~3kHzの"ジーン、ジーン"とした、強い圧迫感を伴う独特の不快な前駆症状の数秒後~数分後に一瞬にして全身の随意運動が不可能となる。症状は数秒で収まるものから、30分以上に及ぶものもある。また、金縛りが解けてもすぐに前駆症状が現れ、再発することも多く、睡眠の妨げになる事も多い。

前駆症状に気づいた時点で金縛りを回避しようと試みても、殆どの場合そのまま金縛りへと移行する。

<種類>
金縛りには、大きく分けて、閉眼型と、開眼型の二種類が存在する。ほとんどは前者のもので、実際には閉眼しているにもかかわらず、金縛りがかかる直前の室内の風景や、普段の室内の記憶が鮮明な夢となって映し出される。しかし、本人が閉眼型だと認知していない場合がほとんどである。閉眼型の特徴として、霊などの幻覚が見えたりし、恐怖感を強く感じる場合が多いことが挙げられる。ちなみに、幽体離脱はこれに分類され、思春期の女性、普段から鏡を良く見て、容姿をまめに気にする者に多い。閉眼型の金縛りを自分の意思で解除する事は、ほぼ不可能である。 しかし、まれに開眼した状態での金縛りも存在する。開眼型の金縛りの特徴として、全身の随意運動を奪われるものの、嗅覚、聴覚、視覚(ただし眼球運動は不可能、もしくは不随意)が鮮明であり、金縛り状態のままテレビの視聴や車窓からの風景を鮮明に見ることも可能である


ま、こんな感じで霊現象というよりも睡眠による現象でしょう。

あの音や重さの移動や布団が下がったのも幻覚…?
あけましておめでとうございます。
今年最初の更新はちょこっと真面目なお話をしてみようかな、なんて思ってます。



「奇跡的な出会い」

人と人とが出会い、共に過ごすことは奇跡のような出来事である。
世界中に人がいて、その中で同じ国に生まれ、同じ地に生きている。
そして出会う。

普通なことのようで、奇跡のような確立。
全ての出会いは奇跡的なもので、大切なものである。
同じ時間を共有しているということはかけがえのない出来事だ。

「別れは一瞬」

別れは一瞬である。
そして、永遠ともなりえる。

奇跡のような確立で出会った人たち。
しかし、過ごす時間に永遠はない。

たとえ幾年を共に過ごしてきたとしても、一瞬にして永遠の別れが訪れるのである。
それだけは全ての人に平等なのだ。





* * *





先日、父の友人であり、私も小学生の頃から親しくしてもらっていたおじさんが亡くなりました。
命が失われるのは本当に一瞬のことです。
少し前まで一緒に出かけていたというのに。
もう、二度と顔を見ることもなく、声を聞くこともできない。

「死」というものが一瞬にして目の前に大きな壁を作ってしまいました。
失われた人は二度と帰ってこない。
痛い現実をまたしても突きつけられた瞬間でもありました。

死を目の当たりにすると母を思い出します。

私は4年ほど前に母を亡くし、次の年に叔父を亡くし、死そして永遠の別れを痛感しました。

「あの時、こうしていれば…」なんてものはもはや何の意味も持ちません。
人の死にやり直しはききません。
後悔しても、それはやはりただの後悔に過ぎないのです。
では、今後は後悔しないよう生きる?
果たしてできるのでしょうか。

人はいつ死ぬかわからないものです。
だから、必ず後悔が出るのです。
いつ誰が亡くなったとしても後悔しないよう過ごしている人なんてそうはいないと思います。
人の死とは、一瞬の出来事ですが、人の心をとことん複雑にし、そして穴を開けていきます。

母を亡くしたとき、私は短期留学のため国内にいませんでした。
母の死を知ったのは国外に出て10日後。
父から電話で母からの遺言(最後までそっちでしっかり勉強してきなさい。だから帰ってこないように。)を伝えられ、複雑な思いのまま残ることを決めました。
そのため告別式にも通夜にも出れず、最後顔を見ることもありませんでした。

病床の母に言った最後の言葉は「じゃあ、またね」。
「また」はありませんでした。二度と。
私の「また」にはわずかな希望とこれで最後になるのではないか、という現実を認めたくない思いが込められていました。
決して『さようなら』と言いたくなかった。

母が生前自分で選び、そして墓石に刻まれた言葉。


一息いれて心やすらかに。
ありがとう。
また会おうね。


あの時もらえなかった返事をもらえたような気がして、それを見るたびに嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちになります。

母が亡くなるまでの言動、思い、痛いほどに後悔しまいます。
後悔したところで母が戻ってくるわけではないし、何ができるというわけでもありませんが。
やり直しがきかないから死とは辛いものなのです。

失くしてからその大切さに気づく。
よく聞く言葉ですが、まさにその通りだと実感しました。

その時から、自分が母としたくてもできなかったことを、自分が母親になったときしてあげたい、そう思うようになりました。
そして母のようになりたい、と。
強い母になりたい。
そう思っています。


人の死は辛いでですが、時に強さを与えてくれるものでもあると思います。

先日のおじさんのお通夜にて、お坊さんが言っていた言葉に


死はその人の身をもって教えをくれる


とありました。
そうかも知れない。
私は母の死に命の尊さを教わり、目標をもらいました。


これからも人の死と引き換えに何かを学んでいくことでしょう。
死とは、何かを失うだけではないかも知れません。
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